対談

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対談 2012/6/8

一歩先に行ける場に──スイーツと音楽 松任谷正隆×辻口博啓

今回のゲストは音楽プロデューサーの松任谷正隆さんです。1986年に音楽学校「マイカミュージックラボラトリー」を開校され、校長としてたくさんの研究生を見守り続けています。この春、金沢に新しく「スーパースイーツスクール製菓専門学校」をスタートさせた辻口シェフと、専門学校への思いを語り合いました。音楽とお菓子、フィールドは違っても、感性が通じ合う対談となりました。

文 橋本紀子 写真 中本浩平

学校を始めたきっかけ

辻口: 今日はお話を伺うのを楽しみにしていました。奥様の松任谷由実さんと以前ラジオ番組でお会いした時、ヒット曲には僕の出身である石川県を訪れてつくった作品が多いんだと言っていただいて。

松任谷: 彼女は金沢が大好きで、昔からよく出かけてますね。僕の、この松任谷という名前の語源も石川にある。どうやら、僕はもともと石川県の出らしいです。

辻口: えっ、そうなんですか。たしかに松任市というところがあります。松任谷さんが石川県とゆかりがあるとは……嬉しいです。僕は今年、金沢に「スーパースイーツ製菓専門学校」を開校しましたが、松任谷さんはかなり早いうちから音楽学校を始められていますね。こちらの「マイカミュージックラボトリー」をつくられてどれくらいになりますか?

松任谷: ‘86年なので、今年で26年目になります。

辻口: 学校をやろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか。

松任谷: 僕は今でいうパニック障害の子どもだったんですよ。当時はそういう言葉はありませんでしたけどね。満員電車に乗れないので、小学生の頃からぜったい普通のサラリーマンにはなれないと思っていた。サラリーマンじゃなければ長い夏休みや冬休みがとれて、自分のなかでラクにできそうだったのが音楽の先生だった。小中学生の頃は、教員資格をとろうと考えていました。

辻口: 先生の中でも、やはり音楽だったのですね。

松任谷: 小さな頃から音楽は得意だという自負がありましたし、他の科目は苦手だったから(笑)。人に教えるというイメージはずっと持っていましたが、プロのミュージシャンになったら、教えてほしいという人がやってくるようになった。そこで先生みたいなことをやってみて、自分は人に教えるのがとてもヘタだと気づいたんです。子どもの頃、自分がやるんだったら1年でここまではできるようにしてあげよう、そんなふうにいろいろイメージしていましたが、実際には予定していた半分も上達しない。人に教えるというのはなんて難しいことなんだろう、音楽を教えるのは僕には無理だと思うようになっていました。

辻口: それが、どうして学校をつくろうと?

松任谷: しだいにプロデュースの仕事が増えてきて、それからですね。アーティストとプロデューサー、それぞれに向かいたい方向があるけれど、まずはアーティストの思いを尊重し、そのうえでプロデューサーは方向性を定めて調整していく。このスタイルを学校に取り入れたらどうだろうか。1年間でここまで進みましょうと一方的に決めるのではなく、その人の目指していることを僕らがどれだけ理解し、サポートしてあげられるか。一歩ずつの歩幅は違っていても、ちゃんとみんなが前進している。そういう学校があってもいいんじゃないかと考えました。

辻口: それで、スクールというかたちで音楽を学びたい人たちに門を広げたわけですね。


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